
シリーズ
卑弥呼とは何者だったのか
第2回 なぜ日本の歴史書は卑弥呼を書かなかったのか
前回は、中国の史書『魏志倭人伝』に登場する「倭の女王・卑弥呼」について触れました。
三世紀、倭国には卑弥呼という女王が存在し、
人々は彼女を共に立てて王としました。
そして卑弥呼は魏に使者を送り、
中国皇帝から「親魏倭王」の称号を与えられています。
ここまで読めば、卑弥呼は当時の倭国を代表する存在だったことがわかります。
ところが不思議なことに、
日本の歴史書には卑弥呼の名前が見えません。
八世紀に編纂された
『古事記』
『日本書紀』
この二つの書物は、日本の最も古い歴史書とされています。
しかし、そのどこにも
卑弥呼の名は登場しないのです。
これは偶然なのでしょうか。
それとも、意図的な沈黙なのでしょうか。
もし卑弥呼が三世紀の倭国を代表する人物だったとすれば、
後の歴史書に何らかの形で記されても不思議ではありません。
にもかかわらず、記紀はこの女王について語りません。
ここから、いくつかの可能性が考えられます。
たとえば、
• 卑弥呼は別の名前で記録された
• 後の王権にとって都合のよくない存在だった
• あるいは、そもそも「卑弥呼」という名が中国側の呼び名だった
もし最後の可能性が正しいとすれば、
卑弥呼とは固有名詞ではなく、
ある役割や称号を示す言葉だったのかもしれません。
そう考えると、
「卑弥呼が記紀に登場しない理由」も
少し違った姿で見えてきます。
では、卑弥呼が行っていたとされる「鬼道」とは、
一体どのようなものだったのでしょうか。
次回は『魏志倭人伝』に記されたこの謎の言葉、
**「鬼道」**について考えてみたいと思います。
(続く)
次回もお楽しみに。
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