
シリーズ
卑弥呼とは何者だったのか
第3回 卑弥呼の「鬼道」とは何だったのか
『魏志倭人伝』は、卑弥呼について次のように記しています。
「卑弥呼、鬼道を事とし、よく衆を惑わす。」
ここに登場する「鬼道」という言葉は、卑弥呼を理解するうえで非常に重要なものです。
しかし、この言葉の意味ははっきりしていません。
現代の感覚では、「鬼」という文字から
何か怪しげな呪術や魔術のようなものを想像してしまうかもしれません。
ですが、中国の古い文献において「鬼」という字は、
必ずしも恐ろしい存在を意味するものではありません。
むしろそれは、
目に見えない霊的存在や祖霊の世界を指す言葉でもありました。
そう考えると、「鬼道」とは単なる呪術ではなく、
霊的世界と人間社会を結ぶ祭祀の体系だった可能性も見えてきます。
『魏志倭人伝』はさらに、卑弥呼についてこう記しています。
年已長大、無夫婿。
有男弟佐治国。
卑弥呼は成人しても夫を持たず、
弟が政治を補佐していたというのです。
この記述は、卑弥呼の役割が
単なる政治的支配者ではなかったことを示しているようにも思えます。
つまり卑弥呼は、
-
政治を行う王というよりも
-
神意をうかがう祭祀の中心
そうした存在だった可能性があります。
もしそうであれば、「鬼道」とは
人々を惑わす怪しい術ではなく、
神意を読み取り、社会の秩序を保つための祭祀だったのかもしれません。
古代社会において、
政治と祭祀ははっきり分かれていたわけではありません。
むしろ、神と人をつなぐ存在こそが、
社会の中心に立つことも少なくありませんでした。
ではなぜ、そのような人物が
倭国の人々によって「共立」されたのでしょうか。
次回は、『魏志倭人伝』に記されたもう一つの重要な言葉、
「共立」について考えてみたいと思います。
(続く)
次回もお楽しみに。
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