
シリーズ
卑弥呼とは何者だったのか
第4回 なぜ倭国は卑弥呼を共立したのか
『魏志倭人伝』には、卑弥呼の登場について次のような記述があります。
倭国乱れ、相攻伐すること歴年。
乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼という。
倭国では長い間、争いが続いていました。
各地の勢力が互いに争い、秩序が乱れていたといいます。
そこで人々は、
一人の女性を王として立てた。
このとき使われている言葉が
「共立」です。
つまり卑弥呼は、
- 王家の世襲によって王になったのではなく
- ある勢力が武力で王位を奪ったのでもなく
多くの勢力の合意によって立てられた王だったことになります。
ここに、古代倭国の興味深い姿が見えてきます。
もし各地の勢力が争っていたのであれば、
普通は最も強い勢力が武力で統一するはずです。
しかし倭国では、
武力による支配ではなく、
祭祀的な権威を持つ人物を中心に据える
という方法が選ばれました。
卑弥呼は武将ではありません。
『魏志倭人伝』の記述から見る限り、
むしろ彼女は
- 霊的権威を持つ存在
- 鬼道を行う祭祀者
として認識されていたようです。
つまり倭国は、
戦いを終わらせるために
政治の上に祭祀の権威を置いた
とも考えられます。
この構図は、後の日本史にもどこか似た形で現れます。
政治を担う者と、
祭祀を担う者。
その二つが重なり合いながら社会が成り立つ構造です。
では、そのような体制の中心となった
邪馬台国とは、いったいどこにあったのでしょうか。
この問題は、古代史最大の論争の一つとして、今も続いています。
次回は、
「邪馬台国はどこにあったのか」
という問いについて考えてみたいと思います。
(続く)
次回もお楽しみに。
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