四季の玉手箱

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シリーズ 卑弥呼とは何者だったのか 第5回 邪馬台国はどこにあったのか


シリーズ
卑弥呼とは何者だったのか
第5回 邪馬台国はどこにあったのか
卑弥呼の話になると、必ず出てくる問いがあります。
それは
邪馬台国はどこにあったのか。
この問題は、長い間議論され続けてきました。
現在、大きく分けると二つの説があります。
一つは、
九州説。
『魏志倭人伝』に書かれた航路や日数をそのまま読むと、
邪馬台国は北部九州周辺にあったと考える説です。
もう一つは、
畿内説。
後の大和政権とのつながりを重視し、
邪馬台国は奈良盆地周辺にあったと考える説です。
どちらも多くの研究者によって議論され、
さまざまな根拠が提示されています。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたいことがあります。
それは、
『魏志倭人伝』はどのような書物なのか
という問題です。
『魏志倭人伝』は、日本人が書いた歴史ではありません。
三世紀、中国の歴史書です。
つまりそこに記された倭国の姿は、
中国側の視点から見た記録ということになります。
航路や距離の記述も、
必ずしも現代の地図のように正確なものとは限りません。
むしろそこには、
伝聞
使者の報告
当時の認識
そうしたものが重なっている可能性があります。
もしそうであるなら、
邪馬台国の場所を考えるとき、
単に距離や日数を当てはめるだけではなく、
倭国の政治構造そのものを見る必要があるのかもしれません。
卑弥呼は、多くの国々を束ねる存在として記されています。
それは単なる一地方の王ではなく、
ある種の「中心的存在」だった可能性もあります。
では、その中心はどこにあったのでしょうか。
そして卑弥呼が葬られたとされる
巨大な墓はどこにあるのでしょうか。
次回は、『魏志倭人伝』に記された
卑弥呼の墓について考えてみたいと思います。
(続く)
次回もお楽しみに。
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