
シリーズ
卑弥呼とは何者だったのか
第6回 卑弥呼の墓はどこにあるのか
『魏志倭人伝』には、卑弥呼の死についても記録が残されています。
卑弥呼以て死す。
大いに冢を作る。径百余歩。
徇葬する者、奴婢百余人。
卑弥呼が亡くなると、
大きな墓が築かれたといいます。
その規模は
「径百余歩」
と記されています。
「歩」という単位は時代や地域によって異なりますが、
おおよそ現在の感覚で言えば、
直径およそ150メートル前後とも考えられています。
さらに、
百人以上の奴婢が殉葬されたとも書かれています。
もしこの記録が事実であるならば、
卑弥呼の墓は
当時としては非常に巨大な墓
だったことになります。
ここから、いくつかの推測が生まれます。
三世紀の日本列島には、
すでに巨大な古墳が出現し始めていました。
そのため、
• 奈良の巨大古墳
• 北部九州の古墳群
などの中に、
卑弥呼の墓があるのではないかと考える説もあります。
しかし、決定的な証拠はまだ見つかっていません。
それでも一つ確かなことがあります。
それは、『魏志倭人伝』の記述から見て、
卑弥呼が
非常に大きな権威を持った存在だった
ということです。
では、その卑弥呼が亡くなったあと、
倭国はどうなったのでしょうか。
『魏志倭人伝』は、その後の出来事についても
興味深い記録を残しています。
そこには、
**台与(とよ)**という新しい人物が登場します。
次回は、
卑弥呼の死後に現れたこの人物、
台与とは何者だったのかを考えてみたいと思います。
(続く)
次回もお楽しみに。
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