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シリーズ 卑弥呼とは何者だったのか


シリーズ

卑弥呼とは何者だったのか

第7回 卑弥呼の死後、倭国はどうなったのか

『魏志倭人伝』は、卑弥呼の死後の倭国についても記録を残しています。

 

そこには、次のように書かれています。

 

卑弥呼以て死す。


更に男王を立てたが、国中服さず。


更に相誅殺し、千余人を殺す。


乃ち卑弥呼の宗女、台与を立てて王とし、国中遂に定まる。

 

卑弥呼が亡くなったあと、
倭国はすぐに安定したわけではありませんでした。

 

人々は新しい王として男王を立てましたが、
国中がこれに従わなかったといいます。

 

その結果、争いが起こり、
千人以上が殺されるほどの混乱になりました。

 

ここで再び登場するのが、
**卑弥呼の宗女とされる「台与(とよ)」**です。

 

人々は台与を王として立て、
ようやく国は落ち着いたと記されています。

 

この記録から見えてくるのは、
倭国の政治の特徴です。

 

男王では国がまとまらず、
卑弥呼の系統とされる女性が王になると、
争いが収まった。

 

つまり当時の倭国では、

祭祀的な権威を持つ存在が
社会の中心に立つ必要があった

とも考えられます。

 

台与については、
『魏志倭人伝』の中でも多くは語られていません。

 

ただ、
十三歳ほどの少女だったと記されています。

 

それでも倭国は彼女を王として立て、
再び安定したとされています。

 

ここには、単なる政治の問題だけではなく、
当時の倭国が持っていた

祭祀と権威の構造

が見えてくるようにも思えます。

 

では、こうした記録を踏まえたとき、
最も大きな問いが残ります。

 

それは、

卑弥呼は本当に実在した人物だったのか。

 

次回、いよいよ最終回です。

『魏志倭人伝』の記述をあらためて見ながら、
卑弥呼実在の問題について考えてみたいと思います。

(続く)

次回もお楽しみに。

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